まるをつけない文章が流行っている

まるをつけない文章が流行っていると感じている。丸とは句点と言うそうです。普段はマルと呼んでいる。自分世代は特に、句点を使わないことがある。句点を使うことを無意識に避けている。句点を嫌がっているのではないか。

ラインやSNSのDMのやり取りをしていて、マルがない文章が送られてくることがある。結構よくある。なぜ、区切らないのだろうか。私は区切れないのだと思っている。区切ることはただ、文法を知らないという話、ではない。これは宗教や哲学レベルの話ではなかろうか。区切るとは、一つの文を終わらせる行為である。それは一つの判断である。判断はその人の決断でもって判断となる。判断への恐怖や嫌悪、もしくは、区切ることへの責任が自分に襲いかかってくる重圧を特に若者は感じているのではないか。意識はそこまでしていないと思うが。一言ですれば、「判断の先送り(判断したくない)」があるのだと思う。自分で判断をしないという構造があるのではないか。

飛躍するが、これが差別意識を変に恐れる心が育ちすぎて、判断するのにブレーキを踏ませているのではないか。誰もそんなに意識はしていないはずだが、判断して、独特な形が形成されてしまうことを恐れているのではないか。それは自分がこれからマルをつけていよいよ形成される文章が「異様なものではないか」と恐れ、それくらいなら、マルをつけないでおこうと。

ということをふと考えた。いや、句点の存在を忘れたということはないだろうな。まさか。

これは、到底完成ではなく、また考えて更新したい。批判もあったらください。

これの異様なものを嫌がることについては、関連記事があるの。

この文章全体に私はマルをつけるのだろうか

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次