3月11日と安倍晋三と私

その日、私は仕事の関係で偶然、茨城県に向かうことになった。高速道路を用いて、約1時間30分ほどの運転をしていた。その時間に何か聴こうかと思ってYouTubeを流したところライブ配信で現、内閣総理大臣の石破茂の姿が映し出されていた。東日本大震災の慰霊の催しで挨拶の場面であった。そう、その日は2025年3月11日であった。彼から発せられる言葉はどんなものだろうかと関心を持って聴いていた。彼の性格なのか穏やかな雰囲気を感じる。しかしその他に内容は何も記憶に残らなかった。
そこへふとある関心が起こった。それは安倍さんはどんなことを言ったのだろうかというものだった。安倍さんとは、安倍晋三、元内閣総理大臣のことである。すぐに「安倍晋三/東日本大震災」などで検索をして彼の発した言葉を聴いたのだった。(安倍さんが総理大臣に返り咲いたのは2012年のことであるが)安倍さんの言葉は、力強い。そして、その強さは優しさから生まれるような強さだと思った。

さて私が仕事で向かった先は茨城県稲敷市だった。仕事を終えて、15時前。少し観光でもしようかと思った。近くに香取という地名を確認したことを思い出した。香取といえば、香取神宮の香取かと思い、未だ参拝したことがなかった。30分以内で移動できるためすぐに向かった。香取神宮は、茨城県の鹿島(かしま)神宮と並んでよく聞く名前であるけれども、何も知らなかった。大鳥居を車でくぐってしばらく行くと歩行者専用に近い参道が現れた。ここからプチ旅が始まるのだった。

参道を抜けていよいよ鳥居をくぐる。やや空気の質が変わったかのような感を受ける。神社については後に書けたら書きたい。手を清めるうちに、姿勢がよくなる。神様の前で手を合わせ、首(こうべ)を垂れる。私は社(やしろ)の裏側へ歩きだした。その時、驚いたのだが、安倍晋三の書いた文字が現れた。

茨城県を訪れる道中、安倍さんの声を聴いていた私は、この香取神宮でも安倍さんに出会うことになった。そこには安倍さんの直筆の文字が飾られ、「大和心(やまとごころ)」を伝えていた。

安倍さんと大和心の関係も、安倍さんと香取神宮の関係も何も知らない私だったが腑に落ちるところがあった。安倍さんがなぜ大和心を選んだのかは定かではないが、安倍晋三という人は大和心、その心を自覚して、大切にしてこられたのではないのかと思った。大和心とは何かと考えれば、やや表すのは難しい。しかし遠い昔、中国文化(漢文化)を学んでそこに漢の心を学んだことに対して、我が国に大和の心が意識された過去がある。その大和心とは、やわらかく、純粋単純なことと私は学んできた。まさに安倍さんに体現されたような言葉だと思う。「にっぽん(日本)を取り戻す」「うつくしいにっぽん(日本)」としきりに言っていた安倍さん。彼から発せられる言葉は、そんなやまとこころが生む、やさしく力強い言葉だった。先に車の中で聴いた安倍さんの言葉に対して、「その強さは優しさから生まれるような強さだと思った」と書いた。その安倍さんが、大和心と書いていた。「ああぁ、なるほど」と思った。

「やまとこころ」とてもうつくしい言葉だと思う。優しさだけでもない、強さだけでもない。強さの中に優しさがある。優しさの中に強さがある。その強さは優しさに支えられている。優しさはまた、強さから生まれる。そんな精神を持ち得た安倍晋三さんだからこそ「うつくしいにっぽん(日本)」「にっぽん(日本)を取り戻す!!」どこにも嘘や偽りを感じない言葉を語ることができたのではないかと思う。

幼稚な結論であるけれども、自分もそのように生きられたらと思いながら、この記事を書いている。その日はちょうど3月11日。昔からの言い伝えでは「地震とは地中深くでオオナマズが動くことによって引き起こされると考えられてきた。その大ナマズを抑えるために頭と尾に石棒を刺し通した」と語られている。この石棒こそ、要石と呼ばれるものである。香取神宮にはその片一方の石棒が地中深くから、顔を出している。江戸時代の国学者である伊能穎則(ひでのり)のうたに「あづま路は香取鹿島の二柱うごきなき世なほまもるらし」と語られていた。うごきなき世なほ、まもるらしである。動き無き世、つまり不動の世。

道元という鎌倉時代のお坊さんは「国土山河の無常なる これ 仏性なるによりてなり」と言っている。この世が常無きものであると。この世のあるがままの姿を観ようとしたわけである。この大地に常ということは無いということ。わかる。道元はあるがままの世界を捉えようとしていた。しかしそうであったとしても、なお「動き無き世」「まもるらし」である。要石が地震から私たちを守ってくれる、そう信じられてきたわけである。この要石の地に、しかも3月11日に偶然来ることができた。安倍さんと大和心と、この地と私が交差した。

もしかすると常なることは無いと本当はわかっているからこそ、信ずるということも成立するのかもしれない。

この中に要石が実際にあり
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