今の政治をどう考えるか.参院選を目前にして.

参院選が来る7月20日に迫っている。自分の政治的な発信に興味を持ってくれる友人がポツポツいて、寄せられた疑問と、私の基本的な考え方について、なるべくわかりやすく記述したい。

目次

どの政党がいいのか

どの政党に投票するのかというのが私たちの目下の課題である。目につくキーワードは多種多様である。外国人差別だの、多様性だの、選択的夫婦別姓だの、その他、スパイ防止法、右翼左翼、減税、増税などなど、頭が混乱してしまう。私はこれを一つ一つ別々の知識として理解しようとしてはいけないと考えている。そうじゃなくて全部が根本の問題と繋がっていて、その根本問題に達すれば、自ずと選び取らなければならないものが見えてくると考えている。この記事ではその根本問題へ、読者と一緒に到達したいと思っている。

優先順位は何か

今の日本にとって大切なことは何か。先にもあげたように様々なキーワードで混乱している。優先順位は何だろうか。これを公共の利益の観点から考え抜くべきである。換言すれば、「より多くの日本国民が豊かになること」という観点が重要である。この観点で外国人はカッコに入れて構わない。後述するが、これは差別には当たらない。

人間の自然な状態と右翼左翼の関係

まずは、人間の基礎的な状態を考えるところから根本問題を照らし出してみたい。

人々が自分の「命の維持、存続」をかける有様は「万人の万人に対する闘争」や「人は人に対してオオカミである」と言われる。これはいずれもホッブズという思想家の有名な言葉である。たしかにマズローという心理学者も欲求段階説のピラミッドの初歩(ファーストステップ)に「生理的欲求」を置いて、続いて「安全に対する欲求」をかかげた。概して言えば、生命維持(生きるため)に必要なことを初歩として規定したのである。ホッブズの「万人の万人に対する闘争」についても生命維持の観点が重要なこととして記述されているのである。生きるために人と争い戦う。これをホッブズは、人間の自然な状態(自然状態)と考えたのである。その観点から強い国家ということが再考された。

しかし物やお金を争うだけの有様はおよそ人間的とはいえないのではないか。人間には動物の枠には収まらない特性があるのではないか。駅のホームで落ちそうになっている見ず知らずのお婆さんを若者が命をかけて助けたり、人を奴隷として扱うことに嫌悪感をいただいたり、およそ動物の枠には収まりきらないような特性がある。これは愛などと形容されることもあるが、「理性」と呼ばれることがある。人間が理性的動物であるのは、1人の人間の中に全く違う性質(動物と理性的なもの)が1つになっていることを言うのである。

私の中の動物はいつも現実を突きつける。「自分や自分の集団が生き残ることが何よりも大切だ」と。一方で理性的なものは言う。「理想が大切だ」と。地球という入れ物の中に男女が同居するように、私の中には動物と理性的なものという異なった性質が同居している。ここで問題となることがある。この両者のうち、私はどちらを優先させるべきだろうか。

世間で言われている右翼左翼のような関係が浮かび上がってくる。右翼はどちらかといえば、動物的な現実を、左翼は理性的なもの(理想)を重視しているように見える。しかしこれは大雑把で短絡的な見方でしかないかもしれない。

あまりにも大雑把な見方すぎる

ここでニーチェという哲学者の言葉を紹介したい。

人間というものは、動物と超人との間に張り渡された1本の綱である

『ツァラトゥストラはこう語った』

これはそこそこ有名な言葉である。ここで超人を理性的なものと言い換えよう。

「人間というものは、動物と理性的なものとの間に張り渡された1本の綱である」と。

動物と理性的なものの間に張り渡された綱=人間。張り渡された綱であるからには、いつも動物と理性的なものに引き裂かれそうになりながらあるのが人間ということである。ホッブズに関連させるなら、ニーチェはこれこそが自然状態だというだろう。

だから「私は動物的にだけ生きる」もしくは「理性的だけに生きる」と絶対的な立場というのは許されない。理性的立場だけを取って、全ての区別を取り去ろうとするならトロッコ問題では、自分の子供すら殺さなければならい。理性が殺生を禁止するならば、何も摂取できず、自分が死ぬ以外にはない。だから理性だけに生きることはできない。逆に、動物だけに生きるならば、常に他者や他国を警戒して、文化や人間的な営みは生まれないだろう。(カルチャーは耕すという意味である)

人間というものは、動物と理性的なものとの間に張り渡された1本の綱である

人間は理性的動物である

これをもう少し詳しく考える。理性的なものは理(ことわり)を「想」う。理想に近づこうとする。一方動物は、犬や熊のことではなくて、「お前ら人間の置かれた現実を直視せよ」というのである。現実に比べて、理想をかかげることは、非常に綺麗に見える。理想論には、新しさを感じる。選択的夫婦別姓、男女平等、LGBT、SDG`s 、多様性、これらみな言葉としては外国で流行する新しい言葉である。グローバル化、もっと世界をグローバルに!!もてはやされる理想論。理想論は美しい気がする。しかしニーチェの自然状態を忘れてはいけない。理想と現実の間に引き裂かれそうにして、双方に引っ張られているのが人間である。実は、理想だけを見る(左翼思想)に足をすくわれた時に、動物的な現実を忘れている。

人間というものは、動物と理性的なものとの間に張り渡された1本の綱である

理想的な左翼思想は、いつも現実を忘れている。しかし現実は教えてくれるだろう。多様性という言葉が流行るずっと昔、第一次世界大戦後に世界の会議で人種差別撤廃をいち早く主張したのは、我が日本であった。(ヨーロッパの国々はそれに猛反対した)選択的夫婦別姓?旧名の使用は高市早苗議員の尽力で可能になっている。国民の大多数の議論にもなっていない中、それをどうして通そうとするのか。現実はどうなのか。道路が陥没して死者が出たし、生活保護が通らずにおにぎりも買えずに死んだ日本人がいる。増税につぐ増税。国民へは緊縮財政、手取り30年以上増えず。外国には大金をばらまくのに、「ギリシャより財政が悪い」と石破茂が言う。立憲の野田佳彦代表は「今の日本に選択的夫婦別姓を取り入れるのは最重要課題だ」と大嘘を平気で発信している。

左翼政党、左翼議員は別名、国を売る犯罪者だと思って良い。それを信じる国民は、現実を忘れた「理想主義者」である。しかし、現実を忘れた理想主義はすでに理想の名に値しない。空想に溺れる者もしくは妄想人である。

絶対的な右翼についても同じ。しかし、今の日本は左翼があまりにも割合が高く、有力メディアもそれに採用される学者もコメンテーターも政治家も左翼思想に毒されている。だから一度基本に戻る必要がある。

理想と現実の間に

それは、現実に足をつけながら理想を掲げることである。現実に足をつけている、政治家、政党はどれかを考えることをしなければならない。この遂行の延長線上に右翼でも左翼でもない、中道を考え抜くのでなければならない。(アリストテレス哲学では中庸と呼ばれる)例えば、外国人をおもてなしするという日本の文化は、日本人が心身ともに豊かであって初めてできること。それなら優先順位はどうか。今日本人が豊かさを実感していないのに、外国人を優遇する段階にあるのか。それよりも日本の子どもに、若者の教育、日本人が豊かになる政策をするのが最優先なのではないか。中国に領土が侵されているのに、抗議するやめた自民党政府。「摩擦が生まれてしまうから」と言い訳をしている。しかし、自分の国という「家」に不法侵入されているのなら、実力行使以外には道はないはずである。かつて安倍晋三さんは空母を派遣せよと指示を出した途端、中国は引き返したという話がある。私たちは動物的な現実を見なければならない。世界は弱肉強食であって、ユートピアではない。(そもそもユートピアは桃源郷と訳されたりするが ”どこにも存在しない所”という意味である。)

つまり、速急な結論であるけれども、大きな争点は「国防(国をまもる)」である。

「国防(国をまもる)」には具体的に以下の要素を含む

  • 外国人問題(門戸を狭め、不法滞在者の即時強制送還)
  • 外国人の受け入れ要件の難易度を上げる
  • 同盟国連携強化
  • スパイ防止法に賛成(推進)
  • 選択的夫婦別姓に反対すること
  • 減税
  • 教育の質の向上

あげ出したらキリがないが「国防(国をまもる)」これを言葉を換えるとすると「日本人ファースト」と呼んでいい。外国人や外国差別ではない。理想と現実を直視した上での、区別である。それはどこの国でも行使できる権利であり義務である。

さらに

左翼思想は、理想論かのようにみえるから多くの国民がダマされるしかし、そのほとんどが利権である。LGBTもSDG`sも利権。メガソーラーも利権。だから左翼思想を煽るメディア、政党、政治家、コメンテーターは利権のために推奨しているだけ。メガソーラーを売りたい中国企業。日本の政治家に依頼。中国産とは分かりづらくして、「SDG`sや省エネ」という言葉をちらつかせて売る。あたかも綺麗な言葉で飾り立てる役者政治家たちは、実際は全く綺麗じゃないことを知っている。メガソーラーで日本の美しい自然が台無しになることを知っている。しかし、中国からお金や名誉はもらえる。さらに中国が日本を植民地にした時に優遇してあげるなどと約束しているのだという。哲学を勉強してきた私ははっきり言えることがある。SDG`sなんかやっても地球環境は悪化する一方である。

最近読んだ本の中では、島田洋一(現衆議院議員:日本保守党)の書いた『世界は利権で動いている』は示唆的である。

結論

大きな争点は「国防(国をまもる)」。逆から言えば、国を売らない政党と政治家

  • 外国人問題(門戸を狭め、不法滞在者の即時強制送還)
  • 外国人の受け入れ要件の難易度を上げる
  • 同盟国連携強化
  • スパイ防止法に賛成(推進)
  • 選択的夫婦別姓に反対すること
  • 減税
  • 教育の質の向上

もう一度いう。絶対に投票してはいけないのは、外国に尻尾を振り、日本を譲り渡そうとする政党および政治家である。選挙の投票日はもうすぐ。7月20日。日本の未来を本気で守り、育てることができる政治家、政党を選びたい。次の世代に誇れる、子ども達が母国に誇りをもてるように。

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